1965年 京都学生三曲連盟紹介

立命館大学邦楽部プロフィール
 
緑あふれる御所を庭とする学園の電車通りに面してサークル活動の本拠地たる学生会館が在ります。我々邦楽部のBOXもこの一隅を占めています。
 我、立命館大学邦楽部のうぶ声は8年前尺八の同好の士2、3人でもってなされた。そして、同好会尺八筍命会、邦楽筍命会とすくすくと“筍”のように発展を遂げ、二年前には念願の公認パート昇格をなし古典ジャンルの一角を担うまでになり、現在40名を擁する洛内有数の邦楽部となった。我々は過去一貫して邦楽の大衆化を強く呼けび大合奏を主体にした活動をなし、又「曲の中に生命力を見い出す」ことを目標にしてきましたし今後も変わりありません。それは日本人の歴史と共に培われてきた邦楽に深き音楽の光を与えることによって邦楽を世界の音楽にまで発展させることであります。この大前提の下、年々代わる部員の質的拡大と量的拡大の矛盾する中でより深い人的関係に立って一歩一歩踏み分けてゆき、悔いなき学生生活を送らんとするものであります。
1965.12.5

ノートルダム女子大学箏曲プロフィール
 
我がクラブも発足以来今年で5年を迎えたことになり、十一月十五日には、大谷ホールで第一回演奏会を開くことができました。部員は四回生八名、三回生七名、二回生三名、一回生八名、計二十六名でまだまだ少数ではありますが、精一杯の活動を行っています。少数ということはクラブにとって大きなマイナスではあっても全員がその欠点に流されないように努力しつづけてきました。それでもまだ土台がしっかりしていないので、いろいろともんだいにぶつかります。練習場がなくて授業が全部終ったあと一部屋を借りて練習している状態ですが、みんな早く集まってせっせと準備しています。早く定まった練習場をみつけることが我がクラブ最大のもんだいであります。
3月 春季合宿(建仁寺)
4月 新入生歓迎演奏
5月 新入生歓迎コンパ
6月 連盟研究会 連盟ハイキング 同大と合同研究会
7月 立命・・(字が消えてる)合同研究会
一行字が消えて読めず
10月 秋季合宿
11月 文化祭演奏 第一回演奏会 反省会
12月 連盟演奏会 四回生追い出しコンパ

サークル紹介 叡風会 京都大学
 
「叡風会」は、昔相当京都三曲界に活躍したらしい。森田鸞山先生によると、この名が称えられたのは今から47年前のことで、前叡風会期にも部としての体が整っていたようであるから、最近部内で創立50周年記念大演奏会ということが話題に上り始めた今年、すでに50周年は過ぎているかも知れない。
 中略
文部大臣に訴える。我々学生の課せられる勉学のひずみに目を向けられたい。Tは遊ぶひまがない。L、Eは、マージャン、ダンス・・・と、いくらでも時間の余裕がある。A、Sは毎日すこし尺八をたしなむほどのひましかない。

龍谷大学邦楽部プロフィール
 
我が龍谷大学学術文化局邦楽部の歴史は実に古く、明治43年4月15日に故兼安洞童氏の入学から始まり、第四回定期演奏会を迎えた今日までなんと57年の沿革があった。最初の部名を碧水会という。洞童氏は明治27年7月8日山口県宇部市本願寺末寺・教念寺に生まれ、明治43年4月に龍谷大学(当時仏教専門大学と称す)に学びにこられた。その頃より洞童氏に指導していただいた。
それもつかの間、昭和16年12月太平洋戦争によって中断やむなきに至ったが、昭和20年8月戦火治まるや否や竹道に志す者がいた。昭和21年12月7日碧水会から琴古会と名を改め、その発足行事として洞童氏はじめ宮城衛氏を迎えて盛大な秋季演奏会を行った。昭和25年洞童氏は京都百万遍に大日本竹道学館を主宰する傍ら日本音楽学校を創設してその校長となった。昭和28年5月3日に日本音楽学校が主催する「宮城道雄を聞く会」にて琴古会から大勢参加した。このように琴古会は洞童氏の支援の基に故宮城道雄氏や宮城衛氏を招待する程に充実した琴古会となった。昭和29年5月洞童氏想う事あって東京へ行き適当な師匠がいなくなった。これが原因して琴古流から都山流へと変るものがあった。一方昭和27年3月同好会より尺八部に昇格し、琴古会を筧龍会尺八部と改め、当時学生部長をしておられた石田充之教授を顧問として迎え、昭和29年6月兼安洞童氏のかわりに木本勝山氏を尺八師匠として迎えた。もうこの頃には琴古会の会員は卒業してしまった。昭和37年6月20日筧龍会尺八部を邦楽部と名を改め、これと同じくして箏曲部を設置し、豊嶋祐子先生を箏の師匠として迎えた。その年より邦楽部としての定期演奏会を催したのを初め、今回の三曲連盟演奏会・慰問演奏会・研究発表会etcの行事を推行し、邦楽部への愛着を持っている若人等がより音楽芸術として邦楽が広く世間に浸透するよう活躍しております。なお一層御指導いただければ幸いに存じます。

花園大学クラブ紹介
 
十数名の少人数ながらも、私達邦楽部員は、先輩諸兄の意志を継いで今日まで活動してまいりました。
私達の学校も少人数の良さを発揮し、クラブも如何に小さくとも、その統制度はおおきなポイントをしめています。
今日まで、我がクラブは、練習をするというより雑談の場としてあったようです。しかしだれもが、クラブの重要性を心の奥底まで認識し、力をそそいでまいりました。
現在、私達は、一回生を主体にして練習しておりますが、これからもやがて、新しく入部してくるであろうところの一回生を目前にして心を新にして統一練習をおこない、今年度最後の練習にはげんでいこうと決意しております。部員数は多くとも少なくともその差は今後とも大差ないと思いますがたしかに少人数では人材はあらわれませんが下手は下手なりにこれからもしっかりやって先輩たちの意志だけは常についでいく決意であります。
(達筆のため読みにくく、打ち間違ってるところがあるかも知れません)

同志社大学邦楽部紹介
 
同志社大学邦楽部は現在、尺八、琴を中心に邦楽研究を行っています。昭和7年に邦楽のサークルとして発足し、以来33年間、時代の流れとともに幾多の変遷を経て今日に至り、現在部員数約70名を擁しますます発展の一途をたどっています。
我々は現在の邦楽の衰退的傾向を思う時、ここに邦楽研究の場をもつ者としての責任の重大さを痛感する次第であります。
しかし、われわれは単に邦楽という民族音楽の温存にのみ終止(終始?)するものでなく、その中にとつとつと脈うつ不滅の精神、現在そして未来にも通づる永遠性を追求し、その代的把握をもってささやかながら現代文化の発展に寄与せんとするものであります。
当サークルの目的は邦楽の研究活動を通じて部員相互の意志の交流、人格の形成をはかり、学生生活の一面の充実を得ることにあります。従ってそこには真面目な練習態度、飽くなき技術の向上を要求すると同時に、学生としてあるべきサークルの実現を目指して日々努力しています。

京都府立医科大学 鴨水会
 
京都府立医科大学邦楽部は、戦前旧制京都府立医科大学尺八部として発足し、富井舜山をはじめその他多くの大先輩が輩出された。戦後、一時、部は解散したが昭和34年京都府立医科大邦楽部鴨水会として再建されて、既に6年、我々は医学徒として要求される厳しい勉学の余暇を邦楽にいそしみ、学生生活をより有意義に過さんものと努力している。現在部員数は、10名前後であるが他校に負けぬチームワークのよさがあり又医学部という特殊事情により練習、部会、その他、余程の大き行事でない限り、部員の勉学、余暇をさまたげてまで出席を強制してはならぬという不文律があり、邦楽をあくまでも趣味、情操教育としている。この点他大学にみられるような厳しさがないので技術的に個人差が出来又満足な演奏会が持てない点、かつ勉学と邦楽練習をとるのが今後我部の課題となっている。年中行事としては新入生歓迎会、医大祭参加演奏会、三曲連盟演奏会、その他、他大学の賛助出演等の活動を行っている。最後に連盟参加各大学にいつも多大な迷惑をかけておりますことをおわびします。

大谷大学尺八部プロフィール
 
 大谷大学の歴史は1665(寛文五年)の学寮創立に始まる。以来現在地に移ったのは大正元年で翌年10月に赤レンガで校舎を竣工した。当時その辺を愛宕郡加茂村小山と称し、本学の周囲は見渡すかぎり畑と田園であった。それより五年を経て1918年(大正七)に都山流尺八部が創立された。琴古流の創立時期については不詳であるが、話によれば今より15〜16年前というがとにかく現在まで続いている。最近、本学の絶対学生数の少ない中に於いて種々クラブが増え、多人数のクラブ員獲得はそう簡単にゆかぬようになってきた。都山流尺八部創始者の加藤栖山(竹林軒)先輩宅で当時の入門者名簿を拝見させてもらった中で本学生の名が多く見られ数えて40〜50人位あった。そえから現在に至るまでは部員僅かに二、三人というときもあり今日は十数人程である。旧洗心寮が学生会館の役を受け六畳位の部屋がBOX代りである。その約六畳間のBOXで、或いは加茂川で練習して居ますが我々には「音量を大きく」ということが恒心となっている。他大学尺八部と多少異なる点は各自好きな銘の尺八を持っていることである。「銘の異なる尺八」これによってそれぞれ音質は異なるのが興の深さを誘うところである。特に我々の尺八部は琴都両流相交って出来ているので他大学に見られぬ琴古、都山合同で一週二度新曲の練習を行うことである。他の日は各自古曲の練習をしています。

プロフィール 同志社女子大学
 
静寂と調べとの和が物言う邦楽は、このめまぐるしい日常生活の中で私達の心にやすらぎを与えて、うるおいをもたらすものでしょう。あのとぎれとぎれの絃の響き、曲にならぬ琴の音さえも度々私達の髄にしみ込んで来ます。
絃にふれ、人にふれ自らを養うことを目的としている私達は、単なる技術の向上に止まらず合宿やハイキング、他大学との研究会、交歓会を通してより多くの事を得る様にと努めております。
練習は相国寺養源院で週に三回(水・木・土曜日)
講師福森登至子先生に御出願って、各々が個人的に指導にあたってもらう他、色々なことにお骨折りいただいております。
一年間の行事としては、新入生歓迎会、夏期合宿、秋期合宿、
そして最大行事としての定期演奏会、他校演奏会賛助出演、
三曲連盟定期演奏会、クリスマス、新年会、追出しコンパ、
その他があります。
このほどは祇園会館において第六回定期演奏会をまがりなりにもどうにか終え、ほっとしている次第です。
とかく趣味的にクラブに入ったものと見られがちであり、
クラブ自体がクラブとしての権威を時には失うそうになりながらもどうにか、今まで過ごしてきましたが、ここらで心機一転まき直しにかかろうと、下級生の間で話が出ていることは非常に良い傾向であると思う。
今日も私達は静かな庭を前にいつもすがすがしい気持ちで練習に励んでいます。一度のぞいてみようと思われる方はどうぞいつでもお気軽にいらして下さい。多いに歓迎いたします。


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