1968年 第7回定期演奏会パンフより

個性の蘇生的復元のために
京都学生三曲連盟会長 小沼静夫
 
 時代の独占資本主義や機械文明を解明し、そこに生存の基盤を置く僕達が、いかに人間性を疎外され、人格性を否定され、不安と焦燥と孤独と絶望のまっただ中で愛の不毛を叫びつつ、枯れ果てた心を抱き膨大な諦念を背負ったまま怠惰で無気力な生活を送っているか━━をここで事新しく述べるつもりはないし、そのためのスペースもない。現に僕達は毎日生きているのだし、卑しくも大学生なのだから自分をとりまく環境の分析くらいは誰にでもできるはずだ。だが分析に留まるのではなくして、僕達にとって大切なことはそのような社会の中で如何に人間らしく生きてゆくかを考え、日々の行動の中でその前進的思想を如何に実践してゆくかということである。
 この現代というばけものを僕は‘個性喪失時代’という一語でとらえたい。そして‘個性復活’というスローガンをかかげて挑戦的に現代を生き邦楽を追及してゆきたい。
 もとより、芸術がその時代時代の政治形態、経済体制の強い影響と束縛を受けるものであることは知っている。根本的解決を望むなら暴力革命以外に現代の芸術を救う道はないのかも知れない。だが僕達が明日のデモに参加して尺八で警官の頭をなぐり、琴爪で自衛官の顔をひっ掻いたとて社会がどれだけ変るというものでもない。芸術を志ざすものにとってむしろ重要なことは、自分の専門的分野あるいは自分の価値的世界においてひとまず社会や環境を越えて人間の真実をとらえ、結果体にその真実が社会や環境という壁でゆがめられていることが判明したなら、その壁にむかって力いっぱい真の人間の姿をぶっつけるということではないだろうか。いつかは武器を持って立たねばならぬ時が来るにしても、肉体だけが生命を意味するものではないように、暴力革命だけが革命そのものを意味しているのでもなく、自己の価値的世界の中で、あるべき人間の姿を激しく訴えてゆくことも立派な革命ヘの道であると思う。
 ところがさてそれでは、僕達が日頃の邦楽を追及している過程の中でどのような美にどれほどの感動を覚えていかなる真実を把握し何を訴えようとして活動してきたか━━と自らに問うた場合、満足な答えは何一つ出てこないのではないだろうか。先日の講習会のプログラムの挨拶文にマンネリ化した邦楽界うんぬんと書いたが、マンネリ化しているのはむしろ学生である僕達自身なのかも知れない。加盟サークルの中で、確固たる価値観のもとに強い信念を持ち、全員一団となって激しい技術の練磨に日夜打ち込んでいるサークルがはたしてあるか?どこもかしこも先輩の行動と意見を盲目的に受け継ぎ、ただだらだらと目の前の行事を消化するのにあくせくしているというのが偽らざる現状ではないのか?
 魚は常に川の中に居るため本当の川の姿を眺めたことがないというが、いつも邦楽の雰囲気の中に居るということはかえって邦楽の本質を見失うことになるのだろうか。僕達は邦楽に対する情熱を忘れてしまったような気がする。はじめて邦楽をやろうと決意した当時、ラジオから流れる糸竹の音を聞いて涙の出るほど感動したあの新鮮な心はどこに行ってしまったのだろう。名演奏に接してもただいたずらに理性的、分析的に聞き、細部の技巧などばかりに感心している楽友が多くなってきているのではなかろうか。感動なき人間には訴えるべき何ものもない。訴えるべきものなき人間とは機械化され平均化され個性の喪失した人間であり、個性なき人間とは表現なき人間であり、それは生きるしかばねである。僕達はまず各々の個性を復活させねばならぬ。個性の復活とは生命のはげしい燃焼と躍動であり、みずみずしい感動と情熱とを生み出す源である。音楽を志す僕達はその感動という形でとらえた“人間存在の真実一美”を自らの“創造的表現━演奏”でもって再現するのである。ゆえに演奏には必然的に演奏者の個性が表現されねばならない。作曲者の意図するところはもちろん注意する必要があるが決してそれに縛られることはない。その曲の中に捕えた自分の感動━心を、音という時間的物質を使って再創造することこそが大切なのだ。
 個性の集団であるサークルにもやはり、公倍数的ではあれ、心があるはずであるし、またあらねばならない。今宵発表される曲は、各サークルがそれぞれの個性を発揮すべく4月から練習を積み重ねてきた曲である。演奏者には前置きや説明や弁解は無必要だ、ただ演奏あるのみである。誰がどのように聞いてくれようとそんなことは問題ではない。自分達が信じ追求している邦楽の美を、自分達の方法で、自分達に満足のゆくようしっかり演奏して欲しいと思う。聴衆におもねる必要はみじんもなく、大衆化を目ざしてはいても大衆に媚びる必要も毛頭ない。
 この演奏会を機会に、各サークルの個性の蘇生的復元のためにすがすがしい旋風がまき起こらんことを願い、あわせて、後期に予定されている東京三曲連連盟との交流演奏会、及び全日本学生三曲連盟結成のたまの積極的活動を期待して筆を置く。

加盟サークル紹介
※以下パンフレットに載っていたものを書き出しました。

大谷大学尺八部、箏曲部
 
 我々大谷大学尺八部、箏曲部はクラブとしては全く独立した形をとっているけれども、日頃から合奏などやったり、学内行事には、必ず両クラブ一緒に参加したり、兄弟以上の仲といった感じである。
 尺八部は、今年度をもって創立五十周年を迎える事となった。50年の間、変転にもくじけずに、続いてきたクラブ、広く云うなれば、谷大に於ける宗教音楽の第一線を走っている。我がクラブは今や壮年期を迎え、谷大の仏教精神を活かし、人の世の無常を竹の音に乗せ、人の世の楽しみを竹の音で知らす。
 又己の精神修養にと竹を吹き、又広く邦楽を普及せん為に頑張っている。
 一方箏曲部には、今年度をもって創立5周年、年こそ若いが、年々、部員も増え毎日練習に励んでいる。事の面数も部員数もまだまだ少ないが、この白紙の箏曲部に部員たちの絵具や鉛筆やペンによって、少しでも立派な絵を画いて行こうと思っている。またいつか我々のクラブで三絃を加へ、尺八、箏、三絃と三曲合奏の出来ることを期待しながら、毎日練習に懸命である。
 この様に我々のクラブは、今年をもって、古い皮を脱ぎすてて更に自己練磨と邦楽発展の為に頑張って行こうとする意気込みはペンでは書けない程である。そういう意味で、演奏は、立派とはいえないが、我々の青春の若さに満ちあふれた演奏を聞いてくださり、何かを感じてくだされば幸いです。

略史と現状 京都大学 琴古流千鳥会
 
 明治34年に、東京出身の尺八家で、京大法科学生の横山正雄氏が、自己の雅号をとって、千鳥社を創設したのが、千鳥会の始まりです。当時の千鳥会は、主に明暗流を行い、関東に伝わる竹道の古典的伝統を伝へ、関西尺八界の指導的役割を果たしていました。以後、工科の浜部治郎博士や初代山岸芦水師ら、秀れた師を得て地味な研究活動が続けられていましたが、残念なことに、この活動は一時跡絶えてしまいました。しかし、昭和35年、京大文学部学生の山岸政行氏 (現・二代目芦水師)を得て、研究活動は再開されたのです。以来8年を経て、今日の千鳥会に至っています。
 琴古流は、元禄年間(17世紀末期)尺八の名人、黒沢琴古を始祖とし、多くの古典を伝へ、歴史とともに流れています。私達は、この竹道の精神を受け継ぎ、現代に活かしてゆくために、日々励んでいます。しかし、云うまでもなく、私達は、この困難な課題を、「学生サークル活動」の中で、追求しなければなりません。この点においては、これまでの千鳥会は、大きく退行しており、満足すべきものとは云えないでしょう。
 それは、再開後の年月、常に一桁の会員数等々、何もかもミニであることの制約が大きいのですが、加えて、これまでの「尺八サークル」に対する私達の姿勢が、同好会的運営を妥当とする見解に支配されていたことにもよっています。そのため、条件、見解の大きく異なるサークルの多い三曲連盟の中では、加盟して 3年、異端的存在として、「消極性」に積極的なサークルとして、孤立無援の地位を保って来ているようなわけです。
 このような千鳥会も、ここ1、2年「新世代」の参加によって変質しつつあります。それが、竹道精神の現代的醗酵なのか、敗なのか、又、将来、どのようなサークルに変貌を遂げるのか、現情勢では、全く混沌としており、現会員は、この過渡期の「生みの苦しみ」を味わいながら、平然と尺八を吹き鳴らしています。
 千鳥会はこのような「尺八倶楽部」なのです。

京都府立医科大鴨水会 府立医大邦楽部
 
本クラブは、尺八同好会として生まれて以来、早や15年を経過するが、他大学や他のクラブに比べて、影の薄い存在であった。単科大学の悩みである部員数の少ないことは如何ともしがたく、かっては数名の部員だけとなったこともあった。しかし、医学を学ぶ者としては、尺八の音は、すばらしいやすらぎを与えてくれることには時代の差はなく、尺八独特の音色にひかえるものが増し、現代、部員数は20名以上に達している。部員の数だけはどうやらそろったのだが、なにしろ新人ばかりなもので、なかなか尺八の音を楽しむにはほど遠い現況である。しかし皆、尺八の音楽性にあこがれ入部したものばかりなので出足はすこぶる快調である。また、富井先輩という良き先生を得て日々練習にはげんでいる。従って、クラブの目的、活動も自然と限定されてくる。
 現在では、まずすばらしい音を出すことに努力することで精一杯であり、出来ることなら、その演奏によって自分自身を感動させたいものである。早く本クラブにも、他人をも感動させ、さらに進んで、尺八の音楽性も論じ、研究できるようになりたいものである。

京都女子大学箏曲部
 
 当クラブが誕生して9年目、定期演奏会もすでに7回を数え、しっかりと根を下したクラブに発展しました。
初めは同好会として小規模乍ら和気あいあいとした出発でしたが現在では新入生を迎えて総勢百余名という大きなクラブとなりました。現在十余の班に分れて週2 回の練習を行っています。クラブの性質上技術面に走りやすく多くの部員相互の親睦をどのようにして深めるか、という事がここ数年来の大きな課題でした。そこで今年からみんなが自由に意見を発表できる様に機関紙“おおぎの”創刊する事になりました。さらに研究の部を設け相互の親睦を得る事を基本にして部員全体にサークル、連盟、邦楽、人生、社会等について話し合いの技術面だけでなく文化面からも邦楽についての考えを深めて行きたいと思っています。

同志社大学邦楽部
 
世間一般には、邦楽を古典芸能とみる傾向がある。また、尺八、箏を行っている人達の中にもそう考えている人がある。しかし現代に生きる私達は、邦楽を単なる遺物としてでなく現代に生きる音楽としてとらえて行くべきであろう。
 同志社大学邦楽部では過去、私達の可能な範囲ではあるが、三曲のあらゆる分野に目を向け活動して来た。つまり、古曲、新曲、箏曲、尺八本曲、大合奏、小合奏……のいずれにも片寄ることなく、また邦楽の求道性及び音楽性の両面にも追及を行って来た。
 また、尺八、箏を愛する人々のサークルである邦楽部において、部員どうしの心の触れ合いや対話が行われ、人間的成長がなされるのは当然である。
 この様な同大邦楽部のカラーの中で幹事会を中心として1年間の方針が打ち出される。部員に個性的、ことばを変えて言うならば変人が多いのと同様、毎年個性のある活動、独自な活動が行われるのである。しかし、方針が単発的で同大邦楽部史の上で流れあるものとなっていないのは少々残念である。
 創立37周年を迎えた我が邦楽部は部員数70名。都山流尺八、生田流箏及び三絃に関する研究を行っている。男子は尺八を、女子は箏を奏するが、現在箏を弾く男子が5名、新しい現象として今年は尺八を吹く女性が現れた。たのもしいことである。
 クラブの運営は、全員によるのがたてまえとなっているが、実際には9名の幹事で構成される幹事会が行っている。そして、文化、内政、編集、渉外、会計、文連の六つの班があり、部員はそのいずれかに入って活動している。具体的には、文化班では箏尺八の歴史について調べたり、ある特定の作曲者について研究したりするが、活動の中心である演奏とどの様に関連づけるかが問題としてあがっている。また楽理の勉強会や、レコード鑑賞会を文化班が中心となって開く。編集班では毎月“新聞しらべ”を発行し、部員から原稿を募ったり、下宿訪問記を載せたりしている。年度末には機関紙“しらべ”を発行する。他の四つの班にもそれぞれ仕事があって、部員各々が主体となって行動しているのである。
 練習は、この班とは無関係に時間性を決めて行っている。古典からなる課題曲と、新曲からなる自由曲とを各々一曲ずつ選び、月1回開かれる〝月並会〟で発表する。
 最大の行事は何と云っても定期演奏会であり、1年の後半は定演中心に活動する。新入部員の入る4月5日と定演の前とは、1年中で最もクラブが活気に満ちる時期である。
 その他クラブで年4回の合宿や、夏の旅行、ハイキング、コンパ等、楽しい行事でいっぱいである。
 そして我々は、邦楽の音楽的追及と、個人の主体性確立を軸に活動を進めていくのである。

同志社女子大学邦楽部
 
 私達のクラブは昭和29年5月に発足して以来、今年で15年目を迎えました。当時は部員数も少なく、同好会として発足したのですが、現在では部員数50名程になり発足当時から御世話をして頂いている福森登至子先生に週1回の指導を受けております。今年の4月までは学校の近くのお寺を借り、週3回の練習でなんとかやって来ましたが、練習日の不足、又部員数と比較してわずか14面という琴の不足等から練習不足になりがちでした。その為5月から練習場所がお寺から教室へと変わり、時間も5時からとなり遅いながらも毎日練習できるようになりました。それで今までの遅れを少しでも取り返そうと全員張り切って練習しております。
 しかしながら、女性ばかりのクラブですと、とかく理論面に弱く、自分を甘やかし、クラブの現状に甘んじて深く考えるという事を嫌う傾向になりがちです。そしてただお琴を弾き、楽しむだけで終り、他のお稽古事と同様になってしまいがちですが、サークル活動というものは個人ではなく、集団としての活動ですので、その目的に従って自分を主張すると共に相手をも認め合う事が必要になって来ます。そこには自然と社会性が芽ばえ、それが-チームワークとしてサークル活動の進退を左右するわけです。又、サークルは社会性を必要とする集団の活動ではあるけれども、本質的にはそれは個人の人間形成の場であって集団の中に自分の価値、存在性を認識しなければなりません。こうしてサークル活動の意義をもっと深く考えて活動して行く為に、クラブ内に討論の場を作り、楽理の説明、邦楽論を取り入れ、お琴の歴史等を調べる研究グループを作り、「志らべ」第1号も発行しました。
このクラブでの練習曲は今まで新曲が多かった為か古曲に対する関心が深まり、古曲を弾き、味わう事によって古典芸術の心髄に少しでも触れる事が出来たらと古曲の練習曲も取り入れる様になりました。又三絃の必要性を強く感じ、今年初めての試みである春の合宿に三絃の講習会も開いてみました。
琴を弾くという事においては、技術面も大切ですが、クラブである以上は連帯感というものを極めて重要な事と考え、1年の前半は昨年の方針を受け継ぎ、和を養う為の行事が多く、それを基盤として、より一層の躍進をはかる様に、又後半には技術面を中心にやって行こうと思っております。

ノートルダム女子大学箏曲部
 
どの大学にせよ、どんな種類のクラブにせよ、そのかかえている問題は非常に多いが、
それが、我々学生に考えること、行動するという事を、おしえるのであろう。
 さて我がクラブにも同じように多くの問題がある。他のほとんどの大学が持つ部室を持たぬ事、そこからくる練習時間の制限、クラブ活動の不便さなどがあげられる。
 しかし又他方から見れば問題の少ないクラブともいえる。その一つはいつもクラブ員の総数が、20人に満たない事で、この少人数で毎年1回の定演を開く事は大変困難である。、これはクラブ発足当時からの問題であり、我が校の学生数から見ても、今後、これ以上に増加する事はほとんど不可能と思われる。
 そこで私たちはこの少人数であるという事を最も有効に利用しなければならないと考え、クラブ員一人一人が常に何か役を持ち、定演の計画を立てる際にも全員が何か仕事を受持つ事にしている。このように少人数ゆえに、一人一人が本当に働かねば立派な演奏会が出来ない、クラブが成り立たない、この現状に、ぶつかる事によって、クラブ員一人一人が箏曲部員であるという自覚、又全員で一つのものを作るという責任感や義務感が、他の多人数のクラブよりもより養われやすく、率いては、それがクラブ員全員の結びつきを強くしていくというすばらしい点である。
 またクラブが結成されてから5年ほどしかたたず、現在ようやくクラブとしての体制が少しずつ固まりかけてきた、そこで今までどうしてもクラブを為に、ひくという実質的面が先に立ち、ともすれば邦楽に対する思想など理論的な事や曲についての研究が遅れがちであった。それ由ひくという段階から一歩ふみ出た段階に進むための一つの足がかりとして、今年の11月に開く予定の実演では、カトリックという他校にはない我がクラブの特色を一度前方に押し出してみようと計画している。
 この事が、我が箏曲部独特のカラーを持ったものにする為の起点となれば幸いと思う。又、合せて私達のクラブが女子大のクラブであるという特殊性も特色として生かし、ややもすれば今まで欠けていた積極性をもって生きたいと思う。

花園大学邦楽部
 
 私達花園大学の創立された(当時、    《※6文字分の空白》と称していた)のが明治31年というから、ほぼ70年という歴史を数える訳だが、邦楽部ができてから何年になるのか、記録も何も残ってないので確かには分からないが、かなり古いと聞く。
 大学は妙心寺直営の禅門大学であるから、禅の枯朴なイメージが尺八の幽玄性に少しく通ずるものがあるのか━━名人の孤高な境涯は禅的な一ツの悟りとはよく言われる事である━━古くからあるというのも不思議ではない。クラブ員を支えている精神的支柱は、花大の伝統である禅的な“無”への限りは回帰の中にこそあるのではないかと思われる。一本の竹を通してその極地に至るものは、結局は“無”の世界(相対的な意味でいう有・無の無ではない)ではないかという一つのアンチテーゼである。禅は天上天下唯我独尊、或いは孤立無援の絶対的境地というが如き風格をもつ。尺八も芸術であるなら孤独の厳しきに終始するであろう。(禅と尺八、宗教と邦楽或いは芸術の本質的な違いについての厳密な論議は此方では省略して又の機会にしたい)そんなイメージがあるせいか、クラブ員の間には孤立不遜の剛毅を良しとして仲々他人に依らない傾向がある。それはクラブ員の個性が尊重されて一つのユニークさを形造るものであるが、半面相互の人間関係を軽視してしまって、ややもすると互いに影響し合う事を忘れがちになるという弊害がある。とは言え、なにか事が起ると怱ちに結集して一致団結できるという純朴さもあるので非常に頼もしく思う。
 春季学園祭(6月初旬)には春季演奏会、7月初旬は三曲連盟演奏会、夏には夏季合宿、11月の定期演奏会、そして3月の春季合宿、というのが主に年間行事。その間他大学の賛助出演、討論会、座談会、そして何よりも好きなコンパ等結構忙しい毎日のクラブ生活である。

立命館大学邦楽部
 
緑溢れる御所を庭とする広小路の一角に我々の学園があります。我々はこのめぐまれた環境の中で、日々練習に励み、又我が邦楽部は今から14、5年前に2〜3 名の同好の志により「尺八旬命会」として設立されたのです。その後同好会としての発展を名実共に遂げ、37年には会員数20名余りとなり、又その実績を積み重ねて行きました。そして昭和38年同好会から邦楽部に昇格し、新に箏曲部を設け、部員数も40余名を数えるに至りました。又42年には古典パートから器楽パートへの配転となり、ますます我々の活動は幅広いものとなりました。又我々の年間の活動の最初は春季合宿で始まります。ここでは新入生歓迎演奏会のための準備を行うと同時にこの一年間の活動の最も基本的なものである基本方針案が採択されます。これが決定されると、いよいよこの方針に従って新しい活動が展開されていくわけです。
 4月に入ると新入生歓迎演奏会が開かれ、新しい仲間達を部内に向かえ、部内は一段と活気を増します。その一回生の指導から実際に活動が始まり、ハイキング、コンパ等を通じてボックスへ入るのさえ遠慮がちであった一回生が部員としての色彩を強めてくる時期でもあります。6月にも入ると活動の一大集大成である定演に向けての練習が始まります。ここで我々は全員で何か一つのものを完成さして行くという一体感が出て来るのです。
立命邦楽の伝統や重さを感じるのもこの頃です。
 話は変りますが、定期演奏会がどういう事で開かれるのかという事に触れておきたいと思います。我々は単に会場に客が多く入れば成功だと思っているのではありません。そんなことは副次的なものです。大事なのは第一に方針に述べられ事が果して演奏会に於いて実現されたか、という事です。即ちオーケストラ形式をどの様に受けとめたか、又サークル員自身の自己変革が成されたかどうか、これらの事がどれだけ定演に於て打ち出せるかという事によって我々の一年の活動の価値づけがなされるのです。この様な事をより実現化する為に夏季合宿、即ち定演に対する強化合宿が行われるのです。
 以上の事が立命邦楽部の主な年間活動です。我々はサークル活動中に於て純粋さを尊びます。学生の学生らしさを求めます。たとえ現実の社会が歪んでいたとしても我々のサークルは真に理念的な存在であらねばなりません。そうしてサークルをそうならしめる事が我々に課せられた栄誉ある任務なのです。

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